里山にある古民家で暮らしたい。海の見える町に住みたい。「移住」と聞くと、ずっと夢に見ていた暮らしを実現するための、大きなステップというイメージを持つ方も多いかもしれません。
実際に移住した方に話を聞いてみると、きっかけは人それぞれ。今回お話を聞かせてもらった相川武士さん・千晶さんご夫妻は、4年前、東京都から千葉県南房総市に移住しました。住む場所を変えようと考えたきっかけは、子どもを保育園に預けることができなかったときに感じた疑問だったそうです。
第一印象で、南房総市へ
東京から千葉・南房総市へは車で1時間半ほど。房総半島の一番南に位置していて、豊かな自然を生かした観光、サーフィン好きが多く訪れる町としても知られています。
南房総市に移住した相川武士さんと千晶さんの出会いは、入居者同士が関わる機会が多いシェアハウス「ソーシャルアパートメント」に住んでいたとき。移住前は、それぞれ東京で会社員として働いたそうです。
千晶:私は映画が好きで、ずっと夢だった映画関係の仕事をしていました。仕事には満足していたので、まさか自分が仕事を変えることになるとは思っていませんでした。
武士:僕は大阪で育って、大学で茨城に行って。ルワンダで青年海外協力隊をしていた時期もあります。どこでも生活ができるとは思っていたけれど、友人が近くにいることが、東京に住んでいる理由でしたね。
そんな2人が移住を考えるようになったのは、子育てを始めた時期。千晶さんのお母さんが亡くなってしまったこともあり、2人で育休をとり、協力しながら子どもを育てていました。
千晶:保育園にエントリーしたんですが、0歳児でも1歳児でも落選してしまって。子どもを預けるだけでも大変なんだと実感する日々でした。お互い育休で給与が下がっているなか、高い家賃を払い続けることに疑問を感じるようになってきたんです。
そんなとき頭に浮かんだのが、地域おこし協力隊という制度を使い、移住した友人のこと。地縁のある東京と離れすぎず、2人で働ける環境を探すなかで、南房総市の地域おこし協力隊の募集と出会うことができました。
千晶:応募する前、旅行ついでに南房総市に来てみたんです。行政の方にお話を伺っていたとき、うちの子をあやしてくれたりして。東京では子どもがいることで肩身が狭い思いをしていた時期でもあったので、受け入れられている感じがして。ここに子どもと住みたい、ここで子育てをしたいと思いました。
武士:一大決心をしたというよりは、気軽な気分で移住したところがあります。もちろん人生が大きく変わるタイミングではあるけれど、ずっとここで生きていくと決まったわけでもないですからね。不安よりも、都会の息苦しさに合わせることから開放される期待のほうが大きかったんです。
子育てにアットホームな町
無事採用が決まり、地域おこし協力隊として観光に関わる仕事をスタート。同時に、南房総市での暮らしが始まりました。
千晶:ある日家に帰ってきたら、イノシシの肉が家の前に置いてありました。近所の方が獣害対策をしていて、おすそ分けとして届けてくれたんです。びっくりしましたが、すごくおいしかったです。
武士:移住して何年経っても祭りに参加させてもらえないって話も聞きますが、この地域の人は最初から、あたり前のように仲間に入れてくれました。
イノシシの解体も覚えた武士さん
移住して間もないころから、地域に馴染んで暮らしていた様子の2人。子どもがいたことも、馴染みやすかった理由のひとつだといいます。
武士:この辺りはサーフィンが盛んなこともあっていろいろな人が移住してくるけれど、少しして出ていってしまうことが多いそうです。子どもを連れてきたら、しばらくはここで暮らしていくんだろうって、本気度が伝わるみたいで。地域みんなの子どもだって、可愛がってくれる方が多いんです。
地域の人たちが子どもを見守ってくれる感覚は、東京では体験したことのないものでした。
仕事のために子どもを預けていた保育園でも、そのアットホームな雰囲気に助けられることが多かったそうです。
千晶:延長保育になる日には、おにぎりを食べさせてくれたり。台風で街中が停電したときも、ご両親は片付けが大変だろうからって預かってくれたんです。子どもへの支援が手厚いことに、ずっと助けられています。
子育てをするなかで見つけた、やりたいこと
地域おこし協力隊としての活動、そして南房総市での暮らしを通して、それぞれにやりたいことを見つけたという2人。今は新たな仕事や場づくりをするため、それぞれにチャレンジを始めています。
千晶:地域おこし協力隊の期間、私はヘルスツーリズムを担当していました。自分自身、子どもを産んだ後にうつっぽくなっていた時期もあるし、周りに休職してしまう友人もいたりして。自然がたくさんある南房総に来てゆっくりしてもらえる体験を、自分でもつくりたいと思うようになりました。
地域の方に向けて開催した森林浴ツアー
今は東京の会社から編集の仕事をフリーランスとして受けながら、ママ友とともに、森林浴や瞑想ができる場づくりの準備をしているそう。合わせて、旅行中の一部の時間に子どもを預けられるバケーションシッターという仕組みづくりにも取り組んでいます。
千晶:ここで子育てして、自分の子どものふるさとは南房総なんだと思ううちに、地域の未来についても考えるようになりました。引っ越した当時は思ってもみなかったんですが、今は都市部から来る人、地域の人、子どもに向けて開く場所をつくっていきたいんです。
初めての海体験をしに来た都内在住の友人と産後3ヶ月の赤ちゃん
子どもが大人に出会う機会をつくる
一方武士さんは、地域おこし協力隊の活動期間中にできた地域の人たちとの関わりを活かし、会社を立ち上げました。
武士:観光の仕事をしている方が多い地域なんですが、ITの面がなかなかアップデートされていないのが課題として見えていました。例えば民宿のWi-Fiネットワークの整備をしたり、人が来やすい環境整備を事業にしています。
新しい会社の事業を進めることと並行して、自宅兼事務所を使って子ども向けの塾を運営している武士さん。空いた時間には映画の上映会を開いたり、地域の人たちが出入りできる場として活用しているそうです。
武士:子どもには、いろいろな大人に会える機会をつくってあげたいと思っていて。地域のおじいちゃんや移住してきた人、いろいろな人が出会う場にしていきたいんです。地域のためというよりも、自分たちがあったらいいなと思う場所をつくっているような感覚があります。
岩井駅前交流拠点boccs
自分たちが健やかに暮らせる距離感で
移住して4年。仕事をつくり、場づくりをしながら、自分たちの暮らす環境を着々と整えてきているような印象を受ける2人。地域で活動しているなかで、難しいと感じることはないんでしょうか。
武士:地域の人たちとの関わりはもちろん大切にしていますが、どこかに所属しすぎないように気をつけています。地域のなかでうまくやるために過剰適応していると、疲れてしまうんですよね。輪に入っていくのが得意な性格でもないので、ほどほどの距離感は大切にしています。
千晶:夫がこういう性格ということもあって、私も客観的に考える訓練をしてきたようなところがあります。移住したら地域にどっぷり馴染まなきゃって思う人もいるかもしれないけれど、必ずしもそういうわけではないですよね。
自分たちの性格に合わせて、自分たちにフィットする地域との距離感を考える。それが、相川夫妻が健やかに暮らしているコツなのかもしれません。
軽やかに動き続けてきた2人に、この先のことについても聞いてみました。
千晶:子どもがやりたいことを実現するために、この場所じゃないところで暮らす選択をすることもあると思っています。こうして自然が多いなかで経験していることはどこにいっても役に立つだろうし、何かあったら戻ってくることだってできるし。もっと気軽にいろいろな経験してみるのも、いいんじゃないかなって。
武士:二拠点とか多拠点とか、この場所と関わり続けながら、居場所のひとつとして暮らしていくっていう考え方もあると思うんです。外とのつながりが増えれば、この地域に還元できることも増えていくだろうし。骨を埋める覚悟があるかと言われたら、それは誰だってわからないですからね。
自分たちにフィットする距離感を知ること。欲しい環境や場を自分たちでつくっていくこと。
それは移住の有無に限らず、今いる自分の暮らしを心地よくしていくときに、大切なポイントのようにも感じます。2人がこの後どんな選択をしていくのか、しばらくして、またお話を伺うのが楽しみです。