移住者インタビュー│農業を生業にするため、都会から田舎へ。環境を変えても変わらなかった自分らしい働き方(徳島県神山町)

徳島移住生活│松本さん一家(徳島県/神山町)

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子どもが育つ環境、親との距離感、理想の暮らしを求めて……移住を考えるきっかけは人それぞれ。仕事を変えることと暮らす場所が紐付いているということも、少なくないかも知れません。

大阪でマンション暮らしをしていた松本さん一家は、8歳と4歳の女の子がいる4人家族。お父さんの直也さんが会社を離れ、農業を生業にしていくことを決め、徳島県神山町に移住することになりました。
初めての土地で、初めての仕事をする日々。どんなことが待っていたのか、直也さん、そしてともに移住した絵美さんにお話を伺いました。

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農業を生業にしたい

大阪出身の直也さん、奈良出身の絵美さんご夫妻は、大阪でマンション暮らし。家族4人で楽しく生活をしていました。
仕事も順調だったという直也さん。仕事を変えるきっかけはなんだったのでしょう。

直也:入社当初は化粧品の製造担当としてものをつくる現場にいて、開発部に異動になり、製品開発や営業への同行の経験もさせてもらいました。みんなでひとつのものをつくるのも楽しいけど、自分がつくり手として生み出していきたいという思いがずっとあったんです。10年後、20年後、自分はこのまま仕事を続けるか、キャリアアップするのか、考えるようになりました。

徳島移住生活│直也さんと娘さん

直也さんと娘さん

自分で手を動かして、自分でなにかを生み出したい。さまざまな職業を考えたという直也さんがたどり着いたのが、農業を仕事にすることでした。

直也:いろいろ調べていくなかで、種からひとつのものを生み出す農業を生業にしていきたいと思うようになりました。農業に関わる人たちも高齢化していていることもわかってきて。担い手が1人増えたところでなにも変わらないかもしれないけれど、知れば知るほど、やってみたいと思うようになったんです。

当時は家庭菜園もやったことがなかったという直也さん。農業をやりたいと聞いたとき、絵美さんはどう受け取ったのでしょうか。

絵美:うそやろ?っていうのが正直な感想です。当時、2人目が生まれて私は専業主婦だったし、マンションも購入していたので、どないすんねん!って。どこまで本気で言っているのかわからなくて、何度も話し合う時間をつくりました。

徳島移住生活│農業をやると決めた直也さんが育てた人参

農業をやると決めた直也さんが育てた人参

農業をやるなら、会社に所属するというより、農家として独立したいと考えるように。まったく違う仕事をすることに最初は驚いていたという絵美さんも、最終的には背中を押すことを決めます。

絵美:ものづくりが好きだというのは前々から聞いていたんです。今の仕事が嫌で逃げ出すという感じでもなかったし、やりたいことが見つかったのに、我慢してあと30年会社員を続けてほしいとは言えませんでしたね。話し合ううちに、応援したいという気持ちが強くなっていったんです。

直也:本当に自分に農業ができるのか、自信があるわけではありませんでした。どれだけ厳しい仕事なのか、どうやると生活していくことができるのか、休みの度に大阪や和歌山で農業をしている人たちに会いに行って、話を聞かせてもらうようになりました。

今の自分の最適解

いろいろな人の話を聞きながら、少しずつ農業を仕事にするイメージを固めていったという2人。実際に自分たちが農業をする場所を探しているうちに出会ったのが、徳島県の神山町でした。

絵美:当時頼んでいた生協が、徳島の有機野菜を届けてくれていたんです。八百屋さんからも、徳島は土も水もいいよって話を聞いていて。「徳島」「有機農業」で検索してみたら、徳島県神山町のフードハブ・プロジェクトを見つけました。

徳島移住生活│徳島県神山町の景色

徳島県神山町

徳島県の神山町は、徳島市内から車で40分ほどの山間の町。いわゆる田舎ではありますが、アーティストが滞在制作をしていたり、IT企業のサテライトオフィスがあったりと、移住者が多い町として知られています。

神山町で活動するフードハブ・プロジェクトは、担い手が少なくなりつつある農業を次の世代につないでいくため、農業研修生の受け入れ、農薬などをなるべく使わず育てる農業、つくった野菜をおいしく食べる食堂やパン屋、食料品店の運営、地域の学校と連携した食育などにも取り組んでいる会社です。

直也:人に会うなかで、農業をやるには農地を確保すること、つくった後の販路をどうつくるかが課題だとわかってきました。フードハブは研修生として2年働くことで、そのどちらも用意してもらえる制度があったので、バッチリだ!と思って話を聞きに行くことにしたんです。

絵美:どうせ新しいところに引っ越すんやったら、ワクワクする場所でやりたいと思っていました。ほかの場所も見たけれど、神山は、なんかおもしろそうやなって感じていたんです。

徳島移住生活│フードハブ・プロジェクトの稲刈りの様子

フードハブ・プロジェクトの稲刈りの様子

連絡をして、次の週末には神山へ。最初に来たときのことを覚えていますか。

直也:第一印象は山が近いことですね。話を聞いて、一緒に手を動かしてみましょうって農業の経験もさせてもらって。何度か通うなかで、この場所でやっていくのが今の自分の最適解だと感じるようになりました。地域に馴染めるのか、本当に農業を仕事にしていけるのか、正直不安だらけだったんですけどね。

絵美:大阪の友だちには田舎出身の人も多かったんです。神山に行くことを伝えたら「田舎は1日で噂が広まるよ」とか、あまりよく言わない人もいて。不安はありましたけど、やっぱり、住んでみないとわからないこともあるだろうなと思って。もう、えいや!って感じでしたね。

徳島移住生活│一緒に農業をする絵美さん

絵美さんも一緒に農業をすることに

仕事が変わっても、変わらない働き方

神山に移住して、絵美さんはフードハブ・プロジェクトが運営する食堂のアルバイトとして、直也さんは農業研修生として農業を学ぶ生活が始まったのが4年ほど前のこと。

初めての農業に取り組む日々を直也さんはどう過ごしているのでしょう。

直也:仕事を早く覚えて独立するっていうことを決めているので、もう、毎日必死です。農業をやるなら体力は必要と覚悟はしていたものの、最初の2、3週間、身体が慣れるまではすごくしんどかったです。それでも、自然のなかで働くのは気持ちがいいですよ。

農業に取り組む様子を楽しそうに話してくれる直也さん。最近はナスの栽培にも力を入れているそうです。

直也:ほうれん草のような葉物野菜よりも、果菜類といって、トマトやピーマン、ナスのほうが、栽培期間が長いので病気になりやすかったり害虫がつきやすかったり。栽培の技術がいるんです。今後のためにも勉強したいと思って、毎日ナスばかり観察しています。天候によって育ち方も変わって、勉強の日々ですね。

徳島移住生活│農作物を観察する様子

よく観察して、気づいたことに対応していく

直也:農業って体力仕事だと思われがちなんですが、作業計画を立てたり、知識も積み重ねないといけないし、頭も平行して使うんです。前職マルチタスクでいろんな仕事をしていたことは、今に活きている感じがありますね。自分は1期目の研修生として受け入れてもらったので、研修当初は、正直仕組みが整っていない事もありましたが、その分、自分も意見を出しながら考えていける。大変だけど、難しいことにチャレンジするのが好きなんだと思います。

絵美:前の会社で働いていた頃も、今も、働き方が一緒なんだろうと思うんです。全部自分ごとというか、自分で考えてやっていきたい。自分でやり方を見つけて、周りを巻き込んでいくみたいなことは、前職でもやっていたことだと思うんですよ。なんの仕事をしても、この人は同じようにやっていくんだろうなと、いい意味で思っています。

徳島移住生活│農業をする様子

町のなかで高齢の方々から農地を借り受けて、野菜を育てています

もともとあった期間に加えて、会社からの誘いもあって研修期間を伸ばしたという松本さん。次の春に、いよいよ独立を控えています。

直也:前の仕事を離れたきっかけのひとつに、エンドユーザーの声を直接聞けるような仕事をしたいということがありました。農業では、つくり手として食べてくれる人の声を聞いて、それを次につなげていくような仕事をしていきたいですね。売上をつくっていくために販路を開拓していくことはもちろん大切だけれど、身近な場所・人を大事にし、美味しい野菜を提供できる農家になりたいと思っています。

できることでお礼していきたい

仕事では順調に力をつけている様子の直也さん。一方で、初めての田舎暮らしとなった神山生活はどうですか。

直也:妻が覚えているかわかりませんが、こっちに来て2ヶ月くらいしたころ「大阪に帰りたい」って言われたことがありました。最初は友だちもいないし、僕は仕事に没頭しているし、ホームシックのような感じだったんだと思います。これはやばい!と思いましたね。

絵美:すっかり忘れてました。最初は寂しさがあったんでしょうね。生活もだいぶ変わったと思います。家族みんなでごはんを食べるのがあたり前になったのも大きな変化のひとつです。

大阪時代、遅くまで仕事をしていたことに加え、週4日は飲みに行っていたという直也さん。今は行っても年に1、2回程度なんだそう。子どもたちと過ごす時間が比較にならないほど増えたといいます。

直也:土日に仕事をするときは、子どもたちも一緒に畑に行くときもあります。手伝いなのか邪魔をしているのか、ほかのメンバーも相手してくれるんですよね。「お父さん、暑い中で頑張ってるもんな」って言ってくれたとき、自分が働いてる姿を見せられるのはいいことなのかもと思うようになりました。

絵美:食べるものはお父さんがつくった野菜がメインです。あとは近所の方からいただいたり、道の駅で買ったり。子どもたちも食べるときに「これは誰の野菜なん?」って聞いてくるんですよ。そういう会話ができるのは、すごく豊かなことなんじゃないかと感じています。

徳島移住生活│野菜の苗を植える様子

移住者が増えていることもあり、小学校のクラスは1学年10名以上と田舎にしては多いそう。さまざまな仕事をする大人が身近にいることも、子どもたちにとっていい影響があると感じています。

直也:子どもたちは学校が終わったら、フードハブの食堂に帰ってくるんです。みんな「おかえり」って声をかけてくれるのが、いいなって。

絵美:住んでいる地区の方々にも、子どもがいることを喜んでもらえるのは嬉しいですよね。お隣さんは60代のご夫婦なんですけど、子どもの声がすると活気がでるから、なんぼでも騒いでいいよって言ってくれて。都会では迷惑をかけないようにすごく気を使っていたので、田舎でのびのび育つってこういうことなんだって、めちゃくちゃありがたかったです。

徳島移住生活│トラックに乗る子ども達

絵美:こっちに来てから、神山でやっていくという愛着みたいなものがどんどん大きくなっていています。私たちが食べていけたらいいとかそういうことだけではなくて、地域の人にも喜んでもらいたい。神山町のため、という気持ちが芽生えているように感じるんです。

直也:自分たちが住んでいる地区に、高齢者が集まるサロンのような場所があるんです。独立したらそこのおばあちゃんたちに野菜のパッキングとかをお願いできないかと考えていて。おばあちゃんたちにも少し収入があって、自分たちの好きなものを買うとか、みんなでカラオケセットを買うとか。そうやって、地域の人たちとも連動していけたらとは思っているんです。

絵美:最初は地域に馴染めるか、とにかく不安でした。これまですごく良くしてもらってきて、本当に人に恵まれてるなと感じるんですよ。高齢化が進んでいるのを目の当たりにしていて、次は自分たちがなんとかせなあかん世代なんだと思います。神山ではまだまだ私たちは若手なので、私たちができることで、お礼していけたらいいなって思っています。