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『忍たま乱太郎』『NARUTO』『忍者ハットリくん』など、アニメや漫画、映画をはじめ、海外でも大人気の忍者。かつて動きを真似して遊んだパパママもいるはず!
でも、黒装束に身を包んで星形の手裏剣を投げて、屋根の上を走りながら独特のフォームで駆け抜ける。そんな忍者って、本当にいたの?
疑問に答えてくれるのは、三重大学で忍者研究をしている「忍者の専門家」高尾善希さん。第1弾は、「忍者って一体どんな仕事をしていたの?」という基礎知識から意外な最新研究について教えてもらいます。ぜひ親子で一緒に読んでみてください!
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高尾善希さん
1974年生まれ。千葉県出身。三重大学国際忍者研究センター准教授(人文学部准教授)。博士(文学)。センター開設とともに東京都から三重県に移住。徳川幕府の伊賀者が研究テーマ。著書に『忍者の末裔』(角川書店)、『やさしい古文書の読み方』(日本実業出版社)など。藤堂藩無足人(郷士)の子孫。
忍者ってどんな仕事をしていたの?基本を教えて!
―― 敵のお城に侵入したり、別人に変装をして話を聞き出したり。物語などで、なんとなく知っている忍者ですが、実際にはどんな仕事をしていたのでしょうか?
高尾: 忍者の仕事は大きく分けて、(1)情報探索(2)斥候(せっこう)(3)奇襲(4)守衛の4つがあります。
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忍者の仕事 その1 情報探索
高尾: 戦いの相手方はもちろん、忍者は普段からいろんな情報を仕入れておく必要があります。そこで、虚無僧や山伏、お坊さんや、大道芸人、商人など、さまざまな姿に変装して話を聞き、情報を集めていました。
例えば情報を得たい屋敷の前で「お腹が痛い…」など病人の演技をして、屋敷内に潜入するということもしていたのだとか。住んでいる人に助けてもらい、丁寧にお礼をすることで信頼関係が生まれますよね。知り合いになって少しずつ内部に入り込む。そうして危ない目に合うことなく、情報を手に入れていたのです!
忍者の仕事 その2 斥候(せっこう)
高尾:戦争が起こったときに、軍事偵察をするのも忍者の仕事。敵は何人いてどんな装備をしているのか、どんな地形の場所なのかなど、有利になる情報を調べて仕えている主人(大名)に教えるのは重要な任務です。大勢の軍隊を誘導する道案内もおこなっていました。
忍者の仕事 その3 奇襲
高尾:戦争が膠着状態になってしまったとき、一か八かで敵陣に攻め込むのも仕事です。大抵は気付かれないないよう夜に動きますが、敵のお城や屋敷は守りも固くて忍び込むのも難しいため、非常に危険な任務の一つだったそうです。
忍者の仕事 その4 守衛
高尾:攻め込むプロは、守りのこともよくわかる!ということで、現代でいう「ガードマン」もするのが忍者。忍者が一番活躍したのは戦国時代ですが、戦争がなくなった江戸時代の忍者にとっては、守衛が主な仕事でした。ちょっと意外ですよね。
誰に仕えていたの? 忍者は実はフリーランス
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忍びの仕事は、ずっと同じ人に仕えるわけではなく、その都度いろんな大名に雇われては戦いに出て行きました。今の言葉でいえば「フリーランス」です。
高尾:ある文献には「忍びというものは専門家なのでとても役に立つが、日本中に仲間がいて情報が漏れてしまう。役に立つけど使うときには要注意」といった内容も書いてあるんですよ。
前に仕えた大名の屋敷に攻め込むという場面だってあったかもしれません。その都度違う人に仕えるなんて面白いですよね!そういった意味では、忍者を本当の意味で信頼するのは難しかったのかも?
忍術学校って本当にあったの?大事な忍者の教えって?
「学校」はないけど、師弟関係はあった
―― 忍術学園で学ぶ忍者の卵を描いた大人気作品『忍たま乱太郎』。そこに出てくるような忍術学校は、本当にあったのでしょうか?
高尾:答えは残念ながら「学校」という意味ではノーです。ですが、忍術を教える先生と、教わる弟子がいた、という情報は残っています!
高尾:先生と弟子の間で交わされたという契約書(木津家文書)が現代まで保存されていて、そこには「教わったことを絶対に外に漏らしてはいけない」「親子、兄弟、知り合いにも話してはいけない」「教わったことを泥棒の技として使ってはいけない」といったことが書かれているのです。
一歩間違えれば、犯罪にも使えてしまう忍者の技を仕事としてのみ扱う。大切な心得だったのかもしれません。
ちなみに、みんなで同じ教科書を読んで同じ教育を受ける「学校」制度自体は近代のもので、それ以前は寺子屋。先生と生徒は1対1で勉強するという仕組みが主流でした。個別教育のなかで、生徒一人ひとりの特性に合わせて教育していたそうです。
忍者はみんな運動神経が良く、多彩なことが出来なければならないイメージがありますが、実はそれは間違いだそう。これはまた後ほど解説します。
星形の手裏剣は使われていない
高尾:物語によく出てくる星形の手裏剣も、ほとんど使われていなかったのではないかという説があります。刃の部分が多くて持ち歩くには危険ですよね。棒手裏剣と呼ばれるものの方が一般的でした。
物語でよく見る忍者と実際の忍者は、結構イメージが違いますね!
くのいちって本当にいたの? 忍者のフィクション、ノンフィクション
みんながイメージする「くのいち」はいなかった
高尾:いたか、いないかで答えるのは難しいところ。ですが、いわゆる「忍者っぽいピンク色の服装」をしたくのいちはフィクションなんです。
忍者が実在していた時代からぐぐっと現代に寄った、高度経済成長期後、女性も男性と同じ仕事をしていく流れになりました。映画やアニメの作中でも同様の気運が高まってきた結果、生まれたのがフィクションのくのいちです。
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情報探索で大活躍!
―― では、実際のくのいちはどうだったのでしょう?
高尾:くのいちと呼ばれる人はいたと思いますが、それが忍者だったというわけではないんですね。忍者に使われる、情報探索の女性をくのいちと呼んでいたのだと思います。
手裏剣を投げたり、屋敷に攻め込んだりはしませんが、くのいちが活躍していたのは、男性では踏み込めないような、女性ばかりの場所。屋敷の「奥」や「大奥」に出入りすることで、情報を仕入れていたのです!奥には大名の妻や子供もいて、女性が多く働いていました。女性同士の噂話は、大事な情報源になりそうですよね。
足が遅い忍者もいた?
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得意を生かして働く
高尾:フィクションと実際の違いでいうと、例えば忍者は足が早いイメージがあります。一生懸命修行をして、多彩で身体能力も高く、超人的な能力がある人でないと忍者になれないのかな?と思っている人も多いかもしれませんが、実はそんなことありません。
ある忍術書を少し読んでみましょう。
「足の遅い忍びに、急ぎの用事を申し付けてはならない」
「弁術の下手なものに交渉の役目を申し付けてはならない」
人によっての得意不得意を見極めて、適材適所で仕事を頼みなさい、ということが書かれているんですね!これは、今の時代でも通じるとっても大切な考え方ではないでしょうか。
高尾:体を動かすのが得意な人は塀をよじ登ればいいし、変装が得意な人は誰かになりきればいい。詩や短歌、音楽が得意な人なら文化的なネットワークに入れるし、くのいちは女性ならではの方法で情報を仕入れる。それぞれに得意な分野で仕事をするのが忍者の世界だったようです。
まだ遅くない!みんなも忍者研究者になれる
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高尾:私の所属する三重大学の国際忍者研究センターが設立されたのは2017年。それまで忍者を専門で研究する機関はなく、忍者についての研究をしている先生もいませんでした。実は今でも、忍者だけを専門に研究しているという先生はいません。
もともと高尾さんは、江戸城にいたあまり偉くない人の研究をしていて、そこからたまたま「伊賀者」の史料を見つけて忍者研究の世界に入りました。ですから、忍者を研究してまだ4年ほど。
三重大学にあと2人いる、忍者を研究している先生たちも、もとは別の研究をしていたので、忍者研究歴はみんなそんなに長くないそう。
1人は山田雄司先生という方で、こわ〜い「怨霊」を研究していた人。もう1人の吉丸雄哉先生は「式亭三馬」という江戸時代の小説家の研究をしていた人です。
みなさんそれぞれ、忍者とは違う研究をされていたんですね!
高尾:もしもこの記事を読んでくれた人の中に、忍者のことをもっと知りたい!という人がいたら、本やネット、新聞などで、ぜひ気になることを調べてみてください。大学の研究者になるだけが研究者ではありませんし、忍者については、まだまだ分からないことがたくさんあるので、これから研究をはじめても、追いつけるチャンスはたっぷりあります。
忍者以外でも、色んな歴史学がまだまだ未開拓
高尾:「歴史」と一言でいっても、よく履いている靴の歴史、靴の中でもスニーカーの歴史、スニーカーの紐の歴史……。そう考えると、なんでも歴史学になります。忍者研究に限らず、物事は研究されていないことの方が多いんです。
ぜひ気になることがあったら、すぐに調べてみてください。知識が増えるのはとっても楽しいですよ!
(2020年11月取材)